John Lewis & Partners + Waitrose & Partners Ad - Bohemian Rhapsody
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ボヘミアンラプソディーという映画が公開されていますね。
これはイギリスのコマーシャルだそうですが、小学生が伝説のバンドQUEENの名曲、
『Bohemian Rhapsody』を歌っています。
英語を話せなくても、単語を見ると、凄い歌詞なんじゃないか?と思い、和訳動画も見ました。──なんかね、わたしとしては、
ゲーテのファウストの現代版のようにも感じました。フレディのピアノソロからの歌い出しのところは、比喩というか精神的なニュアンスが込められていると思いました。
その歌詞に『フレディ・マーキュリー』が生涯苦悩し続けたであろう、
“自らの存在への問い” “自分とは何者か?”
が凝縮されているようにまで思えました。
案外、わたしと考えていたことが似ているのかしら?
男性ボーカルを聴く機会の少ない人がフレディのボーカルには感動している。
これは何かありますぞ😙
人生の転機にQUEENをどうぞ。
─と宇宙さんが言ってる気がする。
お久しぶりです!
サモト弐稀です!
ずっとブログ放置してすみませんでした🙇
家のゴタゴタでストレスが溜まる一方で、
毎日やり過ごすのが精一杯です。
やっと、頑固な親が固定資産を売り、引っ越しをすることを決め、来月には新居に移ります。明るくていい部屋でわたしの憂うつ状態も改善されてくるのかしら?
わたしは、行政機関には頼りたくない気持ちが強く、これからも関わらないつもりです。
お役所やそこと関係する社会的地位ある職業のやつらが大キライだからですが。
今後、わたしの人生がどうなるかなんてわかりません。ただ、他者に指定されるのは、
2度とごめん!!
わたしが自分の頭と心で決めるのだ。
次のブログにはわたしが大変感動した歌を載せておきます。
空気は目に見えない
お久しぶりの更新です。
今回の本題はKYです。
空気の読めない人。
わたしの話なんですがね。
『言わなくても分かれ!』『察しろ!』
これをいうのは定型さんが主なんですが、
それって自分と他人は同じことが考えられると思ってのことなのか?
だとしたらなんという自他境界線のなさなのでしょう。日本人の自他境界線て変なところが曖昧なのだね。
海外は明確だろうに。
人との距離感は分かりません。
どんなことを考えているかは想像できません。
人生でどこに重心を置くべきか分かりません。
自分が本当に存在しているのか?自覚がありません。ホログラムのような気持ちです。
存在しないはずのわたしが存在している不気味さ。あなたは誰?
わたしのような解離型ASDの方は世界的にもごく少数だそうです。
できれば、ご連絡を取りたいですね☺
解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病
柴山雅俊先生監修の本
読んでいます。
説教されてる時に状況と違うことを想像してくどくど言ってるのが終わるのを待った。
不思議なのですが、小4の頃の家での記憶がほとんど無いことに2年くらい前に気付きました。
この、本には“幻聴”“幻視”といった統合失調症と共通する症状が解説されています。
どうやら統合失調症の場合だと
聴こえた、見えた。それが事実であると捉えるそうです。
解離性障害の場合は
聴こえた気がする。見えた気がする。
と夢を見ているような感覚に近いそうです。
わたしは──後者です。
自己判断ですけどね。
テレホン人生相談のおなじみ、心理学の権威
加藤諦三先生によれば自分の人生を生きられない人は一生不幸のままです。のようなことを申されているんですね。
解離型ASDは自我がないといわれます。
本当は自分が何がしたいのか分からないのです。中心はないけれども、いくつもの人格がシチュエーションにより入れ替わり対応しているので、どれが主人格か不明なことが多いために、本当は何を望んでいるのかが何とも言えなくなってしまいます。
これは、ユングの理論を覆す概念らしいので・・・・。
わたしの脳はどのように構成されているのか知りたいのです!
既存のデータにない脳の持ち主なんですよ。
わたし。専門医ですら手強いんだもの。
自分の脳の構造って気になりますか?
わたしは大変気になります。
これまで数え切れないほど、多数派(定型さん)に注意されたり、キョトンとされたりしてきたので、否応なしに他者との大きな差を思い知らされてきた訳です。
何名かの医師からは『社会的な経験不足から凸凹になっているのではないか』とまで。
経験したくてもその場に1日も居られないんですー!5分くらいでギブアップですよ!
わたしは幼少から、人といるのが息苦しく感じる子だった。
『あなたは誰?どこから来たの?わたしは誰?どこから来たの?』
こんなことが頭でぐるぐるしていたのです。
自分はどうしてここにいるの?
というか自分は誰なの?鏡を指差し、
『あなたは誰?』
と認識できないその顔に問いかけていました。あの時たしかに、『これは本当にわたしなの?信じられない。これは誰なの?』
を繰り返した5歳児でした。
このように『自己感知領域』が機能していないと思われる少女はそのままの脳で育ち、
今年36歳になるのです。
『自己感知』が出来ていないと、自我も形成されないだろうし、解離の場合の主人格もないのだろう。実際、どれが本物の自分なのかは分からない。本当に分からない。
これまで、ひとつのことに意思を貫き通すことが出来なかったのはこういった『本当はどうしたら良いのか分からない』にあったと思います。
そうすると、頼りは“感覚”になっていきます。それと言語的表現または、絵として双方を一致させていく作業になるのですが、
これはなかなかに疲労感が半端ない!😭
実際、これを書いていても大変疲れます💧
自分を知る。自分の思考パターンはどれくらいの特異性を持っているのか?
わたし、おそらくは発達障害のなかでも
かなり稀なケースの人なのではないかと思う。
自慢でもなんでもなく、生きづらさのおっっっっっきな理由となっているからです。
教えて下さい。
わたしの脳はどんな風に出来ているのですか?