『ワタシ(ぼく)も知らない ワタシのセカイ-3』
サモトは田舎の陸の孤島みたいなところで暮らしています。
金があれば今すぐにでも出ていきたいクソ田舎・・・と、この話はここまで。
『感情表現』
わたしは、感情表現の大半をアニメや漫画で学びました。オーバーではありません。
小学生まで心のなかで沸き起こる“何か”をどう表現したらよいのかわかりませんでした。
元々、気持ちが表に出ないようで、
『実はあの時こんなこと考えていたんだよ』
と話すと「そうは見えなかたった」と返ってくることが多いのです。
本当に、千感じていてもそのうちの20か30くらいしか表現出来ていないと思います。
そんなわたしが大変お世話になったのが、
アニメと漫画なのでした🎵
『人間はこういう時はこんな顔をするのか。こんな話し方をするのか』
自分でもイラストスケッチで描いて練習しながら“感情表現”を覚えていったものです。
楽しかったですね~✨❗
そこで、実写に行かなかった理由と申しますのは、大変苦手だったからです!(>_<)
「この人たちは、何をしているんだろう?」
画面の中の役者さんを見て不思議に思ったものです。
それに、何よりどストレートな生々しさが怖かったですね・・・
せいぜい見られてコメディでした。
『絵のキャラクター』というのは、
その人がそこにいる!とずっと思っていました。実写はまんま演技じゃないか、フェイクじゃん!絵のキャラクターに対してはする思入れが、実写の人物には出来ませんでした。
この根底には長年の人ぎらいがあったからでしょう。今もきらいですけどね(笑)
捉え方を変えて、その人個人でみるようにしています。
脳の絵の認識とは千差万別です。
いくら理解できないからといって、排他的に非難するのはおかしいよ、人間として。
某映画誌がアニメーション映画に対してアホなこと言っているらしいですが、
ある程度の年齢になるまで一度も触れずに生きていくとそれまで接触したことのないものと対面しても『異質なもの』と見なしそこで思考が止まってしまうんです。
最近、常々思うのですが、生まれ育った環境って凄く重要!!と。
日本は、多様性の存在すら知らされず育ちます。寧ろ多様性が悪であるかのようになっています。それは、支配者の他者評価を欲する心理の恐怖ですよ。一人になるのが怖いから同調した集団であることを強制するのです。
アニメや漫画のような戦後新しく起こったカルチャーを受け入れられないある一部の人間は、自分達の存在が危うくなるのがいやなのだと思います。
こういった心理は、自分の外側に評価を求める強い自己愛なのかと。
自分の中に自信があれば、他者を非難しませんからね。満たされているのですから。
そんなに関心がなくても悪く言うことはないのですよ。
こんな、本当は自分に自信のない人間を量産し続けているのが日本社会です。
自信を失わせて意思を奪う気なんだろうか。
人権侵害っていうか殺人だろうがよ!!
人の心舐めんな!!
わたしたちは、自分のために生まれて、
自分のために生きていくものだから。
真に自分のために生きている人こそがカッコいいんです。
そして、自分と同じくらいに人を愛せたら、大人です。
そこまで辿り着く機会を奪わないでね。
どうか意思を殺してしまわないよう。
先に生まれた皆さん。