自己認識と自己受容
日本のような長らく全体主義を引き摺る国では個体の『自己認識』など眼中になどなかろう。よって、自由意思などなく、組織の命ずるまま生きるのが当然であるとの洗脳を受けて育つために、『自己認識』や『自己肯定感』など最早死語のような扱いである。
『自己肯定感』を高められると全体主義に依存してきた者共は自らの否定に繋がるために
それを過剰に怖れて強行手段で統制を牽いているつもりであろうが、また彼らも自らの意思は死んでしまった人々なのである。
このように、個人に徹底無関心の風習を大昔から行ってきたため、群れることしか知らない民族となってしまったのだ。
この国には愛着に何らかの問題のある人が溢れているだろう。犯罪行為のようなアピールしかできない人などのこと。
生まれて最初に会うのは親とではなくて、
自分と出会うのだ。
その自分との第一印象で一生の自己感知が決まってしまう。
古い大人ほど、赤ちゃんや小さい子の心を軽く考えているんだ。
『まだ小さいから分からないだろう』
だなんてバカにすんのもいい加減にしろや!
そんな大人共なんか絶滅すればいいのに。