メンクリドクター不信になった理由
ぼくは、実に病院9件8名転院を繰り返しています。
何故、こんなことになってしまったのか。
最初に通っていた個人クリニックのO医師
実は、この人が『アスペルガー』の診断をしたんです。
それも、同じ医院の別のS医師が行ったWAIS-Ⅲの結果グラフを見てすぐ言いました。
最初にテストを受けたのは2008年であり、
発達障害の診断基準が変更になる前だったので、能力的な落差はあるものの、発達障害でないと判断されたのでした。
当のぼくは納得がいきません。
苦手な計算も「やればできる」と言われました。あんなにやってもやっても、ゆっくりだし数字もすぐ忘れてしまうのに・・・・
2013年、改めてO医師の診断をしてもらい
「あなたはアスペルガー症候群です」
と、体をこちら側に向けてじっと言い聞かせるようにしっかり目を見て話していました。
きっと確信があったのでしょう。
彼はわたしの兄の長年の主治医でもあり、家庭の事情もよく知っているのもあったからそこに至ったのではないでしょうか。
さて、それからが問題でした。
当時、20代後半、親の年齢もあり焦り始めていて、早く生活が変わるための弾みのあるきっかけを“待って”いました。
ただ毎月診断に通い、5分程度の短い問診で切り上げ、加えわたしの質問が手強かったらしく逃げられていた様子でした。
もーうふてくさりまくっていたために、
動画の影響を受け、ついにODとリストカットをしました。
その頃は何らかの“仲間”を欲していたのでそんな方法まで試してみてしまったんです…。
これをD医師に話したところ、
「自傷は一時しのぎ」「薬は中毒になるから止めなさい」
それだけで、わたしの体質には何にも効果のない「クエチアピン(セロクエル)」を出し続けたのです。一日中眠いし、無性に甘いものが欲しくなり砂糖きびをガリガリかじって太るし、「デプロメール(SSRI)」を飲んでもイライラがおさまらないことを伝えても、副作用なんてまれだから。と取り合いませんでした。
『そうですか。ではあなたの所やめます』
2件目。主にアディクションを扱う病院。
そこでアディクションの診断を受けたが、
そこもちょっと軽く近況を話すだけで終了。
2014年
3件目。個人病院。N医師(♀)は、一見サバサバしているが、よく話すとこちらのことを考えてくれているのが分かった。
N医師「あなたは重症の鬱だから、こんな町医者じゃなくて大きな病院に行ったほうがいい」
とすすめられる。
同年
4件目。市内の大学病院。
何らかの一歩を踏み出したかったので、入院を申し出る。自傷のおそれがあるため、閉鎖病棟へ。
ー決まったスケジュールと24時間監視体制に耐えられずすぐ退院(笑)
同年
5件目。市内の別の大きな精神科病院。
ここで当たったA医師にはかなり腹を立てた。相当ムカついた。
初診からいきなり「あなたは普通の人とは違う考えになっちゃってる」だとさ。
「個性」としてではなく「異質」と見なされたということ。
何を話しても上から目線で多数派基準を振りかざし嘲笑って済ましていた。
最早、わたしは壊れたパソコンで
「お前頭おかしいから無理矢理多数派プログラムを入力してやるよwww」
なノリでしたね。いまだにムカつきますからね。それに、自傷をさせない目的で『リスパダール』を飲まされていましたが、後頭部あたりで謎の分泌が大放出され、上手く言えませんがコンピュータ・ウイルスに感染したように変な言葉や記号が止めどなく出っぱなしになるんです。おまけに、寝ている時はヨダレがたくさんで口の中がクチャクチャ。
早い話、この薬も合わない意なんですが。
それで、その時期に2回目のWAIS-Ⅲ検索。
A医師はこの時に「小さいころ、拘りはあったか?たとえば男の子なら・・・」
拘りは?拘りは?と散々訪ねてきたが、
そもそも“拘り”が何なのか何のことをいうのか分からないし彼の挙げるケースは男児だけ。女の子の場合はどうなんだよ!?
と言いたかったけれど、すでに信用できなさそうなドクターだと感じていたので心を開かなかった。
ロール・シャッハ、絵画完成、語音並列などの検査を何週間もかけて受けた挙げ句、
「あなたはアスペルガーではありません」(爆)
「小さいころに特徴が現れるものだから」
それを答えられなかったために、
結果はでこぼこでな知的ボーダーとされてしまったのです。
当然、わたしとしては納得出来ません。
現に思い当たる発達障害の特徴がたくさんあるのですから。
それと、その病院ときたら、結果を患者本人には見せてくれないんです!
自分の脳がどうなっているのか知りたいのに有り得なくありませんか!?
任意でいいと思いますよ。なのに・・・・おっかしな状態であったため、将来へのステップには繋がりそうもないし、プログラム書き換えさせられるだけだったら・・・と通院停止。
因みに、福祉手帳の話を持ちかけたら即却下でしたけど。
2016年
市街の精神科病院。この時も任意入院。
ODど自傷が悪化し、飲んだくれるし、
どうしてこんな生活してんだ?この家にいるからだ、早く出ていかなきゃ!
ーで、その最初の段階としての入院。
ご存知の方はお分かりでしょうが、
あのコンクリートの壁と床、小さいトイレがひとつ、鉄格子、目の前には監視カメラのあの部屋です。所謂、保護室です。
ここに1週間いたんです。
この時は、あれもダメこれもダメの制約の多さよりも、常に監視の目があるのがやはり窒息するほど苦痛でした。
ドライな院長は、終始素っ気なかったですけれど。依存症者にはそう接したほうが逆にいいのだろうな、とは思いましたが・・・・・
2017年
市内。チッコイメンクリ。
コイツはクソだった。サイトに発達障害の明記があるから行ってみたら、まるでコンビニであった。外見は街のお洒落なカフェを装っているが、その院長のオッサンは、
複雑な背景を抱えた患者はうちじゃ診れないから帰れ。引きこもり相談機関に行け。と。
間違ってはいないが、精神科医の分際で
労りのひと言もかけられんのか!このクソ野郎!処方箋コンビニ店長が!!
と、その態度にムカついたんです。
以来、トラウマとなりました。
同年
市内のA病院。コンビニドクターが言うから仕方なく市に現在の状態を説明し病院を紹介してもらう。
予約していた医師(♀)。アラフォーぐらい?
根掘り葉掘りこちらの状態を訪ねてくるが、
あのA医師ばりの上から目線で、わたしがやっと絞りだした言葉が全てであるかのように取り、よくも知りもしないくせに知能や人格まで決め付けてくる始末。
発達障害の特徴をいう際に「誰にでもあると思う」とのお決まり文句。
いくら医師だからって始めから心を開いて何でも話して貰えると思うなよ!!
思い上がるのも大概にしろよな!
この日、『勝ち組』という言葉が頭をよぎった。医師は所謂、人生勝ち組の職業。ドン底を知る者はほとんどいないんだな。
ここでも、あなたはうちでは診られない。
と帰らされた。
勿論、精神科医皆が、この様ではないことは分かっております。
ですが、わたしの運が悪かったのか判断を間間違えたのか、ことごとく話し合いにもならない人ばかりに当たってしまい、
わたしって、メンクリとは縁がないんだなー
と、割り切ってしまいました。
もう2度と精神科になど行きません。
大キライになりましたから。
いつも、交通費と診察料と時間が無駄になるだけだから。
いつも弾き返される。
キライになるに決まってるよ。
わたしは今までの人生でそんな経験ばかりしてきたのだから。
というか、皆さん、早く女性の発達障害のことをよく知ってください。
あなたが診断基準だと思っているのは、
ほぼ全部男性発達障害者のケースが使われています。
女性と男性とで、特性の出方が異なることを勉強してください。
最初のO医師は、児童発達が専門で診断経験豊富だったからなのもあったからなのでしょう。
A医師とA病院医師(♀)の病院は、主に認知症専門だったんですから・・・・。
A病院のサイトには発達障害のケアの記述もあったけど、サービス程度のようで💧💧💧
市の相談係の方もどうしてあそこを紹介したのだろうか???
何故、こんなに何件も変えているのかというと、自活困難なわたしは公的支援を希望しているからです。
ですが、その前に却下されたり帰されたりしてしまうんですからその絶望といったら、
『死ね』と言われているようなものです。
わたしのように、会話はでき、目も見え、
手も足も動く人は自分でやれ、そんなのが原状です。
困り具合などお構い無しです。
それで死んでも自己責任にされてしまうんですよ・・・・
他者への無関心が社会の腐敗を生み、
エゴがエゴを食いつくす世界を作り出してしまうのです。
調和のある世界には『他者への尊重』が必要不可欠ですからね。
過去の文明が滅んだのは命と心の奪い合い、物品への渇望が原因ですよ。
もういい加減、見直しませんか?
2018年ですよ。紀元前ではないんです。
世界(宇宙)は常に変化して成長していくものです。永遠に同じ形の個体などないのです。
おっとまた飛躍してしまった(;^_^A
長くなりましたが読んで下さってありがとうございましたm(_ _)m